日曜日, 12月 02, 2018

カタカナ昔話

日本語には、ひらがな、カタカナ、(日本の)漢字の3種類の固有の文字があって、特に日本語話者以外の方々が、それらの文字を習得するのは大変なのだが、ある程度習得ができてしまうと、3種類を適切に混ぜて表記してもらわないことには、カタカナだけの分かち書きは、非常に読みづらく、音声化して読んでも、字の音韻から意味を導き出すことは非常に困難である。

と、現在、痛感している。

小学1年、2年生向けのお話本で、表紙や挿絵は可愛いんですけどね。

大正15年初版の、カタカナ アンデルゼン、アラビヤンナイト、グリムノオトギ、をホコリだらけの古本の中からレスキューし、ホコリをふき取り、補修して、読んでいる。そして、カタカナを分かち書きのまんまワープロし、それを漢字ひらがな変換しつつある。

カタカナの活字が大きいし、簡単に考えていたけれど、それぞれが100ページを超えるので、カタカナばっかりのワープロ入力に疲れてきた。凹んできた。

しかし、ワープロ入力することで、やっと内容が頭に入ってきたという感じだ。

カタカナ表記に一貫性がないというか、詰まる音(促音)の表記がツだったり、ッだったり。可愛いが「カワイイ」ではなくて、「カアイイ」だったり。寂しいという意味で、「サムシイ」だったり。当時の実際の日本語が、発音が、どうだったんだろうか?なんて思いながら読んでいると、時間がかかってしかたがない。

アラビヤンナイトは、基本的な人権のないお話ばっかり。今の中東も、相変わらず、そんなものかも。

全編を通して、現代では、差別的というか、使ってはいけない表現が各所に出てくる。人間の持つ嫉妬心や暗い安直な欲望を満たすための悪行が随所に出てくる。すぐに殺しちゃったり、魔法を多用しすぎているというか、魔法には魔法返しで救ったり懲らしめたり、すぐに動物に変えられてしまったり、動物の化身が出てきて九死に一生を得たり。
継子(ママコ)は聞いたことがありましたが、実の子のことをホンコと言っていたとは、驚きだ。ホンコノムスメって書いてあるので、香港の娘の誤植なのか?と思ったら、実の娘と言いたいようだ。結核などなどの病気で早く亡くなる親が多かった戦前に、ママコとホンコの待遇の違いは、お話の世界だけではなくて、切実な問題だ。
科学的な生き伸びる知恵もあったりはするけれど。

なかなか色々な角度から面白いけれど、当時の小学生は、どういう気持ちで読んだんだろうか?彼らにとっては、読みやすい本だったんだろうか?

四の五の言わず、早くデータ化して、当時の小学生の関係者に、早くこのカタカナ本の原本をお届けせねば。

表紙や挿絵はカラーコピーして、刺繍の図案にしたいかも。

今後は、AIが相手にしないような、お金にならない、手作業に没頭してやるんだ!と心に決めているのだが…。

マイナーすぎる無駄なコダワリに過ぎなくとも。