木曜日, 7月 09, 2015

かなり険悪な20年なのかも

一系統の事柄を忘れようとすると、同時に覚えていたいことも忘れてしまうから、険悪な雰囲気を感じた日々は失われた20年を迎えるかもしれない。

よく愚痴や悪口を耳にした。
君呼ばわりされて気持ちが悪かった。
プライドと意地とため息が渦巻いていた気がする。
質問をすると反論だと受け止められた。
自分のことが好きだと言うと、えらい自信やな、と言われた。(そういう解釈になるのか。暗にアホって言われたのかもしれない。)
工学部の英語教育はシェイクスピア研究を嫌っているようだ。
こういう授業があるといいですね的なことを言うと専門学校じゃないですから、という声もあった。
某文系学部の図書室の床が抜けそうだった。
夏は暑かった。冬は寒かった。学食は吐きそうだった。まわりにコマシなお食事所はなかった。
実務家をヨイショしつつ、影ではよく思っていない感じがした。
実務家は歴史研究を馬鹿にしていたような気がする。
私がやりたいと言ったテーマはことごとく却下。(恐らく自分の研究を手伝ってくれる学生を求めているだけなんだろうなあ。)
私がやりたかったテーマは面白いはずだし、予算も不要だし。(恐らく予算が文系でもぶんどれる理系的テーマがいいわけだ。きっと。)

最初はわからなかったけれど、だんだん大人の抗争の軸みたいなものが見えてくる。

今から思えば、眉唾でありながら拝聴していた現役実務家(含官僚さん)講師の言うことは、将来を見通せてなかったと思う。大きいテレビに省電力エコポイントを付与しちゃうような、それによって、より電器メーカーを弱体化させたような人たち。官僚に期待するに非ず。

ある年齢をすぎて厚かましく大学に入れてしまったのは、私のせいではないのだけれど、少子化で若い学生さんが減っているから、私でも行っていいのかな?と、興味が持てる分野を学ばせて頂けるのかな?、と思いきや、そうではなかった。

やたら韓国を勧められた。(私は嫌韓じゃないけど…。そんな目的で入ったわけでは。今はどうなっているのだろうか?)

教員さんが自己防衛に明け暮れるようになるとか、ことさらに自己の成果を主張して、同僚をけなし出すとか、そんなことは想定外だった。

短大卒だったから、私が変なのかも、耐えなくっちゃと思ったけれど、ある年齢を超えて、お金を払ってまで行くところではない。

国立大学の方が、より社畜さん養成所みたいになっていきがちだから、社会に出て社畜に疑問を感じて大学に行っても、なんのソリューションにも、癒しにも、ならないと思う。

独立行政法人になった時点で、大学院大学になったあたりで、国立大学らしさは終わっていると思う。メニューが選べない、単位が落とせない、管理教育になっているんじゃないかな。

大学に行って、人間嫌いになったのが一番の成果。

===

文部科学省がメチャメチャ間違っているなぁ、と思うのは、そもそも、昔から工学部は金食い虫でイチかバチかのハイリスク。ある程度の予算を献上しても、アメリカと比べて少ないとか、企業と比べて少ないとか、どんだけやっても予算の見劣りがあるようだ。

文系も残して、放置した方が、設備要らないし、装置要らないし、文科省的には安上がりなのになあ…。愚かだと思う。

工学部に有名な先生を外部からイキナリ連れてくる方式が増えているらしく、人間関係が寸断されちゃって学生が育たないし、工学部も先細るんじゃないかなあ?

文系は私学、理系は公立、なのね、きっと。

===

個人的には、全ての縁を切ってしまいましたし、今はそこそこ幸せですけれどね。

いきなり世界遺産関連組織から来た方が、いきなり某学部のチーフになっていたり、学問的実績というよりも、政治力勝負というか、落下傘ぶりが胡散臭すぎるので、歴史的、文化的、自然の遺産が世界遺産になるならない云々には、特に価値がないんじゃないかと疑ってます。

そういうお墨付き、宣伝に惑わされず、自らの感性で、心動く体験がしたい。

世界遺産になるメリットもあるけど、デメリットもあるのではないのかなあ?