金曜日, 3月 21, 2008

★What makes digital desperate divide.

コンピューターによって、絶望とか排除が生まれる理由は、使えないこと以上に、それに乗っかって、主役として楽しめないと思うことだ。脚光を浴びる可能性すら棄却されること、今までのノウハウが使えないこと、生き場を失っちゃって気力が萎えてしまうこと。そんな気がします。

digital divide (デジタルデバイド)って、家庭が貧しいとPCを買えないし、使えない・使いこなせない人が出てきて、格差が広がるというような問題(だけ)ではなくて。

コンピューターは、改めて言うまでもなく非情です。(歩みよってくれない。)

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人は、手で絵を描いたり、お手紙を書いたり、声を出して話をしたりして、営々と生きてきたし、生きることができたわけで、そういう長い間の変わらない基本性能を駆使した優劣で、スピーチコンテストは勝負をして頂ければいいかもしれませんが、紙の上に描いた絵を見せるのではなくて、写真をプロジェクターで大きくお客さんに見えるように映写したいなどという方も出てきて当然なんですが、そうすると、そのための準備は結構手間なのです。

設備の有る無しというだけではなくて、コンテストですから公平性の問題。
時間的な制約もあるので、一人で機械の設定ができるわけでもないのですが、どの時点まで他人のアシストが許されるのかという問題。(他人のアシストの良し悪しが、パフォーマンスの質を決定してよいのか。コンテストですからクリックしてスライドを変えるのは、話者。)
映像入力信号をプロジェクターに送るには、ピンコードが必要なわけでして、その物理的な長さによって、話者の立ち位置にノートPCが届かないという問題。(ちょっと動いてね。)
プロジェクターとPCの立ち上がり時間がかかる問題。(なんとかしましょう。)

しかし、一番大きな問題は、パワーポイントの映像をプロジェクターでスクリーンに映写するだけであれば、たいした能力でもないし、それでプレゼンテーションの質が上がるわけではなく、時と場合と創り方によってはナンセンスですし、ただそれなりのソフトをちょこっと使ってみただけに過ぎないのですが、

それを観て、とても凄いと思う人が出てきたり、私達の時代は終わっちゃったのねとガッカリする人が出てきたり、なんだか機械に依存してズルイぞ!と思う人が出てくること、それによって、心に滓(オリ)や糟(カス)が沈澱していったり、人が心を萎えさせてしまうこと、面白くない人生に突入しちゃう可能性があること。

他の人達の気持ちの変化なんですよね。

jijiちゃんは、人様に無意味で有害な劣等感を与えるモノとコトの使用方法を好まないので、できるだけ多くの方を主役に祭り上げるように、環境として、背景として、紹介用に、パワーポイントは使おうかな、と思っている。

福岡ドームでは、ホークスファンしかスクリーンに写らないけど、無差別に公平に扱ってやるんだから。

そういう意味においては(?)、パワポを使いたいと言ってくださる方がいたことは、とてもよかったのです。

この世で怖いのは、妬み、恨み、辛み。それは、私には、一生できないんだ、とか、その恩恵によくすることがないんだ、不当に排除されているという絶望から生まれる。必ずしも、妬む人が悪いわけじゃないし、人の悪口を言うのは不細工だ(品格に欠ける?)と育てられてきたわけだから、尚更のこと、妬みはヘドロのように積もっていく。

機会の平等と機械による恩恵・大切にされた気分の平等に奉仕させて頂こう。自らの製品の売れる環境には奉仕できてないけれど(笑)。

一番上手なプレゼンは、お客さんと双方向で、ライブ感があること。
実演販売的なものがスキだなあ。
パワーポイントではなくて、何も描いてない空白のOHPシートか、描きかけのOHPシートを用意して、マジックでグラフや注釈を足していきながら、OHPに載せてスクリーンに映写するスタイルの方が心を打つ場合もある(あった)。