火曜日はお金になる仕事をしたわけではない。
主にRの会と読書に浸った。
モノを考えていることが好きなだけかもしれない。マニアだと言われてしまったが、そうかもしれないなあ。
JIJIちゃんは、JIJIちゃんの事が純粋に好きな人に扶養して欲しいので、国に扶養控除をしてもらったり、国や企業から扶養手当をもらいたいとは思わないな。
お互いに純粋な金銭的肉体的精神的なpatronage(援助交際?)がいいと思うの。それが、せめてもの日本という国や社会や特定・不特定の人々に対する私の遠慮なのか、私の傲慢な忌避なのか。(恐らく後者かな。)
Rの会において、①民主党、小沢代表誕生(英日)、②エセ科学について(英日)、③真のアメリカン・ドリームとは何か(英日)、④女性が結婚相手を選べるということがもたらす非婚化について(日英)をする。
特に、『アメリカン・ドリーム』についてが面白かった。
特定の英語表現が面白いという意味ではなくて、恐らく、つきつめれば、宗教の違いによるのだろうけれど、才能(talents)というものに対して、自ら産出し、所有していると考えるのか、たまたまレンタルしているのか、という捕らえ方の違いかな。
多くの日本人は、才能を、自分のものだと思っているかもしれないし、自分自身の努力の賜物であると思っているかもしれない。それよりも、コネとか権力による引きを信頼するのかもしれない。
多くのキリスト教国の人達は、才能を(神から)与えられたものだと思っていて、それによって得た富を社会に還元することは、当然の責務だと思っているじゃないかな。
だから、ルールに則って、成功して、多くの収入を得ることは、素晴しいことだ。その結果として、それを、恵まれない人にチャンスを与えるために使い、第二の成功者を導こうとする。他者のために、自らが持てる富を、能力を、活かしてこそ、成功と言える。
米国では、公教育において、投資に関する教育が可能だと思うし、幅広く行なわれているのだろう。日本においては、ホリエモンとか村上ファンドの事件があろうがなかろうが、そのような教育には、多大な反対があるだろう。
それは、投資や投機というもの、マネーゲームそのものが汚い・不公正であるから『だけ』ではなくて、それによって得た富の使い方の美学・哲学がないからかも。
額に汗して働くのが美徳だなんて、間違っている。美徳か否かは、働く目的・内容によって決まると私は思う。
額に汗をして、脇の下から冷や汗を流しながら、誰も見ない書類を作ったり、需要されない空港や駅や橋を作ったり、ってのは、美徳なのかということも考えて欲しいなあと思いますねえ。無駄な汗・有害な汗を流して、給与を得ることを恥じてもよいと思うのだ。
多くの時間と多くの資金と多くの労働力を投入すること『そのもの』を自慢するなかれ。
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夕方から、昨日届いた『世界の公務員の成果主義給与』OECDを読む。
なかなか面白い。具体的に、人事考査に関するインタビューの内容が掲載されているわけではない。言葉の定義が明確であるし、業績評価が可能になる為には、どのような条件が必要なのか、というようなことも書いてあって、国毎の違いを論理的に紹介していると思います。
主たる分析の対象となっている国が、OECD加盟国のうち12カ国(デンマーク・フィンランド・フランス・ドイツ・ハンガリー・イタリア・韓国・ニュージーランド・スペイン・スウェーデン・スイス・イギリス)。
米国も入っていないのですが、日本は入っていないのですよ。日本に関しては、業績システムと給与には正式なリンクは存在しない!!!と言い切られてますもんね。
業績評価システムには危険も多いですが、まったく導入していないとは、トホホ!!!
業績評価をしようとする試みによって、確認され得る哲学とかビジョンが、クリアになると思う。日本の行政システムには、法による規制はあるかもしれないが、個人や組織の利害を超越して、哲学していない、ポリシーがない、という悲しさ、情けなさはある。経済合理性を追求する姿勢もなし(と言ったらダメっすかねえ?)。
この本の英語のタイトルは、Performance-related Pay Policies for Government Employees なのです。
ポリシーがあるのかどうか、それが一番大事ぃ~♪