学童保育について様々な当事者の方のお話をお聞ききする機会があった。
学童保育を英語で何と言うか?というのがテーマでは全くないのですが、職業柄その実態のようなものから訳を考えてみました。
after-school day-care center でもいいと思うけれど、増大するニーズに追いつく為の簡易的なプレハブである場合もあるようだから、after-school day-care shelterの方が実態に近いかもしれないし、確固とした公的財源がなく、福祉の分野で義務教育の範疇でもなく、保護者・行政・指導者の連携が必要という意味においては、after-school day-care system または cooperativeと訳した方がいいのかもしれない。after-shool day-care programでもいいのかもしれない。しかし、きっちりカリキュラム化しないで、学童がホッとできる時空間の提供も必要だろうし、after-shcool day-care & educational activitiesという感じでは、子供にはキツイのだろうか。
ゆとり教育の訳の一例に cram-less education(詰め込みのない教育)というのがある。個人的には、その程度が適訳なんじゃないかと思うのですが、それでは、『ゆとり』とは何か?『ゆとり教育』に何をするのか?が明確にならない。『学童保育』においても、第一義的に求められるものが、
①shelter 学童の安全な居場所の確保
②activities (知的な・育成的な)活動なのか
③care & cure 学童にとっての癒しなのか
④cooperative 学年を超えた学童同士の協力や親や行政やその他指導者や地域との連携とかインターラクションなのか
JIJIちゃんは子供がいないこともあり、親御さんや学童本人のニーズとかウォンツの優先順位や『学童保育』への参画の意気込みが、イマイチわからなかったですね。親御さんは、仕事で忙しいし、心配だから、とにかく一人にさせたくない、預かって欲しいというご希望なのでしょうねえ。
『学童保育』の必要性は理解できますし、①~④のどこにウエイトをおくべきかは別としても、小学校の空き校舎が使えないというのは、どう考えてもおかしいし、名目が福祉であっても教育であっても、その主体は学童なんだから、学童の利便と安全の最大化とコストの最小化の双方において、四の五の言わずに、校舎を開放するのが当然なんじゃないの?と民間人のJIJIちゃんは思う。
1つのダムを管理するのに、治水目的の建屋は建設省(国土交通省)で、農業用水関連の別建屋は農林省管轄なんて、冗談はよせ!税金泥棒!と思ったのと同じような縦割りの無駄は、至るところに、ごくごく当たり前のこととして存在する、日本という経済大国(?)。
学童保育に反対じゃないです(賛成)。学童保育用に新規に公的資金で建屋を建てる前に空き教室や 時間帯によっては空いている教室をまず活用してよ!教職員さんも協力してよ!と言って、当然なんじゃないのかしらん。
建屋を建てる資金があれば、指導者に手厚く報酬を配分するか、各種人材の配置等に苦労する事務局に資金を援助すべきなんじゃないかと思いますけどねえ。
現実には、色々なコダワリとか伝統的な正義があるんだろうなあ。(正義とは不正でないこと、としか言えないらしいから。)