①会社は誰のもの?
株主、経営者、従業員、お客様、自治体(一部ありうるインフラを提供しているから)、社会?
結構複雑。
②百万都市は誰のもの?
誰のものでもないと思う。強いて言えば、日本人全てのもの。
住民(納税者)、市長、市の職員さん、市の議員さん?加えて、市内に立地する企業・商店、市の周辺部に住んでいる人を含めて市内で働いている人達、市内で学んでいる人達、市内でお買い物をするお客さん達?
しかし、都市に関わっている人やお金の流れを広範囲にイメージしてみると次のような存在も加わるような気がする。
国家とその市の属する県と、その市以外の日本の全ても、一つの百万都市を所有する。
日本人は国税を支払って、その一部が各地方自治体に再配分される。その部分の受け取りもある。もしそういう受け取りがなくても、市の中に国道も走っている。国立大学はもはやない。国の管轄の自衛隊の駐屯地があることも。災害時にはお世話になるでしょう。県立高校もある。
それぞれの百万都市を、それぞれの市町村を、1億人を越える日本人がそれぞれに所有しあっていると思った方が、自然なんじゃないかなあ。
ローカルって何でしょうねえ?
大きな市の中で行なわれている活動は、雑多であまたあるわけだけれど、市役所が全ての責任を負っているわけでも、市役所の職員さんが全責任が負えるわけでもないのに、何故、市の中の政策のまずさを指摘したら、市の職員さんの人格攻撃になるのかしらん?市の一億分の1を超える市の所有者でも、全ての事業の執行に携わっているわけでもないだろうに。市に人格なんてあるのかなあ?『国家の品格』という本は売れているらしいけれど。
全ての国民に責任の一端はあるし、市長にはかなり責任はあると思うけど、何故、一人の職員さんが、その責任を痛感したり、その政策の失敗を指摘されたら、市役所マンへのあてこすりと感じるのだろうか? 愛国心や愛社精神が怖いと思うのと同じように、私は愛市精神も怖いと思う。
全ての日本の住民が、自らの所得や消費からもたらされた税を、自らが居住する自治体だけではなくて、他の地域に向けて、直接自由意志で振り向けることができたなら、工業地帯であるべきところは、工業地域らしく、農村であるべきところは、農村らしく、適切な資金の配分に少し近づけるような気がしていている。
これは、見果てぬ夢かもしれませんが。
私には日本人的なメンタリティーがないのかもしれない。 ヨーロッパか北米か中南米に生まれればよかったかもしれない。オセアニアでも、中近東でも良かったかもしれない。
案外、中南米が一番性格にあっていたりしてね。
大平さんのように私もイタリアに(私は遊びに、絵を描きに)行きたい。