JIJIちゃんは、官僚と教師が大嫌い。(別に、それらの方達に危害は加えませんけれども、危害は加えられそうですが、快適にお付き合いは、できないタイプ。)
先生もNG。『Sensei is the most Naritakunai Shokugyo in the world.』と中学生ぐらいの時から、言ってましたもんね。短大の時も教員免許をとりたがる友達の気がしれませんでした。それから、会社の人事に配属されたがる人も。勝手に配属されてしまったら、いたしかたないですが、自ら志願するなんて、内心サディストなんじゃないかと思ってましたね。
JIJIちゃんは、イマドキの子供とは違って、所謂『先生』には、正面切ってはむかうことはありませんでしたが、teacher's pet(先生のお気に入り)であろうとしたことはないし、先生という人達のやり様を冷めた目で見ていたように思います。(尊敬できる先生もいらっしゃいますけれど。少ない。)
人を点で評価するという行為(私においては点をつけられるということ)、人を裁くに等しい行為、常に人を支配する側にいる事(最近は、生徒さんも言うことを聞いてくれないのだとは思いますので、先生もご苦労が多いとは存じますが) が出来ない性格ですわ。
某会社で簡単な英語を教えていた時(バイト)なんぞには、全員が不利益を受けないように、手作り試験問題を作って、全員が良い点数がとれるまで、試験(練習問題)をして、その最終結果をその会社の人事部に出すとかしてましたねえ。語学学校のお仕着せのテストの結果が悪くて、新入社員さんの出世に響いたらどうしよう~?!みたいな。仕事の後で、疲れてはったし、機械の修理で海外に行った時に、外国の顧客と交流ができるように、12月はWhite Christmas歌っていたら、人事のおっさんが教室の周りを偵察に来るので、ドキドキしましたねえ。『あの~、皆さんお疲れのようですし、海外に行かれた時に...、いいでしょうかねえ?』みたいな。ヘーコラピー。信念はあるけど、小心者のJIJIちゃんなのだ。
試験はしなくてよかったけれど、公務員さんに教えていた時が、一番嫌だったなあ、理屈でしか質問しないんだもんなあ。 これと、これは、どう違うんですか?とかね。違いがわかっても、両方とも覚える気はないやろ、声に出して読んでみたこともないやろ、君ら、とも言えず。彼らは、理屈ばっかり言うので、事前の準備が大変で、時給はたったの2000円でしたねえ。
民間でも、公務員さんでも、英語が話せる方は、勝手にお話になって、まわりの人が議論についていってなくてもお構いなしだったりすることも。会議室に外国の方と入っていくと、いきなり『N0ゥ! Translati~on.』と叫ぶアホがいる(そんなの単語の羅列に過ぎませんが)。よって、声に出して通訳はできない。しかし、その方が英語で何を言っているのかわからないので、外国の方が目で訴えられ、テーブルの下で、英語→英語を書いたメモを渡す。通訳をしていると、シバシバ人間というもののセコさ、くだらない優越心、虚栄心を感じます。逆もあります。人間性が良かれ悪しかれ、非常に良くわかります。
人によりますが、官僚さんも、総じて苦手なんです。若かりし頃、某関西にある県の旧帝国大学出の上級職さん(エリートですわねえ)と見合いをしなかった。安定しているし、顔が嫌いなわけでもないのに、帝大出で官僚がアウトでしたねえ。(お嬢ちゃんは変わっているといわれたようだ。たいして美人でもないのに、良いお話を持ってきてやったのにぃ~と思われたであろう。)JIJIちゃんって、体制側にいる人とか、勝ち組が嫌いなのかも。
お勉強が出来て融通が利かない人、自らがルールブックのような人が苦手。しかし、官僚であって、身分が安定しているくせに、アドベンチャー&フロンティア開拓者のように勘違いしていて、一般ピープルを先導するミッションを強く強く感じている人は、もっとクリーピーだ。『県庁の星』の封切りを楽しみにしていた人もいるようだ。気持ちワルぅ。『電車男』は理解できるけど、予告編だけでも流すな!とJIJIはゲンナリしている。 公費で大学院に行く人とか。ずるくない? 『電車男』の拍手喝采と一緒にしてもらってもなあ。
私費でコネ無しのJIJIちゃんにしてみれば、許せな~いなあ!ってな感じですねえ。私人では大学院に入れないのだろうか?と不安になってくる。大学院の合否って先生の好みで決まるわけですしね。お金を払ってレイプされに行ったようなものかもしれない。JIJIちゃんが書いた答案は、何人の人に回されているのだろう?誰かの研究のインスピレーションの素にだけされて、只でパクられるとしたら。あ~あ、凹むなあ。
JIJIちゃんの人生において、心がドキドキしたのは、『アナタは挫折を知っていますか?』という、思いがけない某氏の問いかけだった。
結果がどうあれ、本当の挫折を知るまでには、まだまだ、私の人生に時間は残されているだろう。