土曜日, 3月 11, 2006

★biomedical body as nature

ここ何ヶ月か鳥インフルエンザに興味を持っている。

非常に恐ろしい(ことになる可能性も高い)事象でもあるし、面白いなどと言ってはいけないのですが、面白いなあと感じることもある。

国家とか国境とか、貧富の差を越えて(お薬や医療面、衛生面においては、裕福な先進国の方が、安全ではある。インフルエンザの罹患率は低いだろうし、罹患しても無傷で生存できる可能性も高いとは思うが)、人種や宗教や、種の垣根さえも越えて、鳥でも猫でも犬でも豚でも虎でもアザラシでも人類でも、平等に感染する可能性があるという点に、奢るな人類!と、神(if any)の罰が下ったような気がしている。

また、鳥インフルエンザは、家禽だけではなくて、渡り鳥や野鳥が感染し、感染を拡大させているようだ。渡り鳥の場合、これはA国籍の鳥、とかB国籍の鳥というような、国籍分けはできないし、渡り鳥には、国境なんてものは、存在しないわけであって、A国民にでも、B国民にでも無差別にウイルスを撒いてしまう。A国で発生した鳥インフルエンザは、A国だけでなく、その周辺国、B,C,D...国の脅威ともなるわけだから、A国を支援することは、情けは他国のためならず、まわりまわって自国のため、ということになって、国際協力も促進される。

金融であるとか、地下の埋蔵資源とか、領土であれば、自国のもの、他国のものという所有権の主張や争いが醜いですが、鳥インフルエンザの場合は、やっかいもののbads(goods 財or良いものの複数形という意味のグッズではなくて)の所属がなくって、各国で協調して流行を押さえるしかないわけです。

ちょっと前に『小さいことにくよくよするな(Don't sweat the small stuff - and It's all small stuff)』という本が流行ったように思います。

鳥インフルエンザで死ぬかもしれないという事実の前には、金利差も、円高も円安も、スンニ派もシーア派も、イスラエルもパレスチナも、竹島も、日本海でも朝鮮海でも、国境の線引きも、『小さい』ことである、と思うと、それだけにおいて、逆に、人類の英知に期待する気持ち、自らも、なんとかしようとする勇気が湧いてくるマターなわけです。

人体は、ただただ、自然の一部であって、弱くて儚い。かなり平等に。