■勿体ないと始末■
ノーベル平和賞を受賞したケニアの環境活動家のワンガリ・マータイ女史(Prof.Dr.Wangari Maathai)は、全世界に向けて、日本語の勿体ない(モッタイナイ)「mottainai」の精神を訴えた。
使い捨てはモッタイナイ!アイドリングはガソリンがモッタイナイ!食べ物を粗末にするのはモッタイナイ!
良く使う日本語でありますし、絶対そうだよね、と思う。しかし、マータイさんが、この日本語&その精神を世界に広めようとしたのには、彼女にとって、/mottainai/という語感が良かったこともあるんでしょうね。彼女の苗字のMaatthaiと若干似ているもんなあ。
しかし、「勿体ない」を世界標準にしてもらった日本人の側には、ちょっとした戸惑いもある。何ゆえ、モッタイナイの気持ちを表すコトバが「勿体ない」で、「勿体」って何なのさ?日本全国で使っている(と思う)のだけれど、あまりに普通のコトバ過ぎて、「勿体」がない、とはどういうことなのか、わかんないんだよねえ。
広辞苑より
もったい【勿体・物体】(物の本体の意)
①重々しいさま、物々しいさま。
②尊大なさま。
「勿体」そのものは、さほどに高好感度な意味でもないんだなあ。
へっ! 勿体つけんじゃね~よ。勿体ぶっちゃってさあ、何なのさぁ~、何様だと思ってんだよぉぉ~。
う~ん。怖いよぉ。地球にも人にもやさしい感じにはなりませんね。
英語・スワヒリ語的には、どのような印象になるのかわかりませんが、JIJIちゃんの好きな表現は、始末(しまつ)であります
■始末(しまつ)■
アイツは始末やからなあ(関西弁)と聞くと、そのアイツの真の人間性にもよりますが、ケチという意味であることが多いのではないかと思います。
JIJIちゃんは、かつて「商売の基本は始末(しまつ)です」というフレーズを通訳するはめになり、念のために「あの~ぉ、始末とは節約という解釈でよろしいでしょうか?」と確認したところ、「始めと終りです。人間関係は始めから終りまで。」と某船場の商人さんに言われまして、なるほどと思いつつ、必死こいて、長めに解説調の英語訳をした覚えがあります。
大根一本を始末に料理する。尻尾と皮はキンピラにして、身は煮物や大根おろしに、葉っぱは漬物に、湯がいて細かく切ってふりかけにするとか。始めから終りまで、使い切ること=とってもエコロジカル。モノを大切に、最後まで何回も使いましょう。結果として、お金も節約できます。間違ってもドケチではありません。
JIJIちゃんは、まめさに欠けるナマグサモノ。始末な人ではないのですが、始末な人であることは素晴らしい。始末は美しい意味を持つコトバ。
ワンガリ・マータイさんが、平均的日本人以上に深く日本語の意味を解したならば、モッタイナイよりも始末の方に共感したに違いない。彼女が訴えたかったことは、始末のコンセプトそのものではないだろうか。
しかし、始末には少々怖い意味もある。
広辞苑によると、③きまりをつけること。整理をすること。しめくくり。処理。
私は始末されたくない。
そういう意味での始末は、ノーベル平和賞の主旨にも反するでありましょう。
色々ゴチャゴチャと勿体つけないで、結果として、世界のコトバとしては、モッタイナイで良かったのかなとも思う。