本日9月19日は敬老の日。
おととい(9月17日)は東アジアの高齢社会関連のシンポジウムに行き、昨日(18日)は、母と秋月等に行き親孝行?をするという生活。
その後、韓国焼肉を食べ、映画NANAのレイトショーを見る。
東アジア(韓国・台湾・中国等)の高齢化率(少子化を推進する合計特殊出生率の低下)は日本以上にすさまじいのだ。
韓国は1.23で台湾は1.16で、ななんと上海市に至っては、0.8であるという。ちなみに日本の全国平均は、平成16年度で1.29。
少子化は日本に限ったことではなくて、東アジアと旧共産圏諸国で加速している。
比較的豊かな台湾では高齢者の介護や独身男性の御嫁さんにベトナム・中国・インドネシア等々から移民を受け入れているけれど、言葉の問題やその人達の子供の教育の問題等々が生じ、社会問題化しているという。
日本が少子高齢社会だからと言って、安直に近隣諸国から労働力として移民を受け入れるというのは、抜本的な解決法にならず、言葉を解せず教育が不十分な移民1世・2世を生み出すという社会的なコストを伴う。外国からの移民を受け入れて、日本人と同様に日本での生活ができるようにするには、特別な日本語教育や生活の支援等の社会的なコストをかける必要がある。労力やお金が要るのだ。
移民を送り出す国の側においても、少子高齢化が進むわけであるから、日本の労働力不足を補う為に近隣の外国民に期待することは、誤りである。(その国においても若年の労働力を必要としているわけであるから。)
日本国内の労働力不足は、日本国内のやりくりにおいて、特に元気な老人が病気の老人を支えるというやり方で解決していくしかないのである。
しかし、少子化から子供を産みたい社会にするためには、老害を抑止することも必要だと思う。高齢者の独尊的な頑張り、権力への執着が、次世代の参入を阻害しちゃうこともあるから。