土曜日, 6月 18, 2005

★English domination?

英語支配とは何か-私の国際言語政策論(津田幸男著)という本を60%ぐらい図書館で読んだ。

日本人とか中国人とか、非英語圏の人々は、英語が実質的な国際語というか、英語が幅をきかせるようになって、不当に不利なのかどうか。英語圏の人々には、それが本当に有利なのか。
どうなんでしょうねえ。

非英語圏の人間が英語を解するようになると英語で米国等々を批判することも多いと思うし、一つの言語を学習したら、その言語を公用語にしている国に無批判になることはないと思う。しかし、全ての人が英語を学び使いたいわけじゃないのに、実質的に国際公用語になってくる(なっている)とイヤイヤ勉強する時間のロスや苦痛等において、ハンディがあると思う。言語の運用能力においても、英語のネイティブスピーカーは、非英語圏の人達よりも、努力をすることなく有利だから、彼らの主張が通りやすい。

自分の国の言葉以外の言語に親しむことは良いことだと思うし、英語が実質的に国際語になってくると英語のネイティブスピーカーが外国語を学ぶ差し迫ったニーズがないので、1ヶ国語しか解せないことになりがち。どこに行っても、自国の言葉が通じるってのも、ツマラナイというか、異文化を解しにくいだろうねえ。 英語が道具になってしまうと、英語の音の美、コトバとしての美しさが崩れてくるし、評価されなくなるし、実質的に世界のコトバになってしまった言語のデメリットもありそうな気がする。

英語のネイティブスピーカーさんも日本にいるような人は、英語が通じて当然とは思っていないわけで。逆に気を使っていて、様々な英語があって良いという考え方が浸透しているのか、英語の発音や細かい用法に関しては、訂正してくれない人が多いような気がする。英語としての美の形を追求して頂いてもいいような気もする。

二ヶ国語、三ヶ国語の言語が使えるってことは、思考の幅、表現の幅が広がるってことで、他の言語を学ぶ必要のある国の人間は、損ばっかりでもないと思う。

JIJIは、日本語を愛していますし、外来語(主に英語由来)を多用したって、日本語の根幹は揺るがないと思っていますけどね。