しかし、玄海島の惨状や九電記念体育館に避難されている方達を映し出すニュース映像や報道を観ていると、今回は、中越地震の報道の映像を観た時とは異なる違和感を感じてしまう。なんとなく、被災者という役割を観ている感じ、マスコミが被災者のステレオタイプ(雛形)を敢えて撮っているようにも思える。
昨日の夕方、天神にある三越のデパ地下で、溢れんばかりの(高級)『出来合い食品』の色彩にクラクラしてしまった時にも、そこから徒歩圏内にある避難所での生活の映像との落差を感じた。九電記念体育館から天神は、ちょっと頑張れば徒歩でも安全に行けるはずだ。天神まで30分歩かなくたって何だって売っている。カフェでお茶もできる。天神まで行かなくても、九電記念体育館のある薬院には、天神よりもゆったり出来るおしゃれなお店、喫茶店、個人的な趣味で書くと、美味しくて評判のケーキ屋さん、チーズスフレも美味しいパスタの店、お蕎麦屋さん、串焼きの店、お寿司屋さん等々、がある。一歩外にでて、少々お金を使えば、暖かい食事はできるのだ。コンビニがない島の子供は、コンビニ風弁当に食がすすまないらしいが、福岡の中でも、かなり気のきいた食生活が可能なエリアに九電記念体育館はある。もちろん、各家庭の味、慣れた味に勝るものはないが。
何でもかんでも避難所の中に持ってこなくてはならないの?いつも避難所の中で過ごさなくてはならないの?
高齢者への配慮は必要だ。避難所の中に診療所や仮設郵便局があると便利だ。しかし、外にも出た方がいい。地震とその後の生活の変化にストレスを感じている(に違いない)お子さん等には、近くに動植物園があるし、行って動物を見て触れ合って、元気になって欲しいな。
昨日は雨だった、今日も昼過ぎまで雨だった。外に出たくはなかっただろう。ショックと疲労と不安のために動く気にならなかっただろう。今後の生活のために情報収集する必要があるだろうし、家財道具に目配りしないといけないし、避難所から外に出る気にならないのだろう。これからの為に、お金を節約したいのかもしれない。それよりも、他人に迷惑をかけてはいけない、と思っていらっしゃるのではなかろうか、と私は危惧するのだ。
①segregation:(保護されているようでいて)、隔絶されていて、自発的に半強制的に群れている・集まっている?
②人と人の絆、良き隣人同士の社会性、しがらみの必然性・必要(悪・善)?
-昔むかし、社会学で不可をとった記憶があり、社会学のセンスと知識は無い私。
避難しているから、援助してもらっているから、避難所で出される食事を摂らなければならないってことはないよね、と思ってはいけないのだろうか。『私、この際だから、イライラするし、気分転換に16区(ケーキ屋)でティータイムでもしてくるっちゃね!アナタも一緒にどおぉ?』と避難所の中で言ったら、私は顰蹙モノ・非難の対象になるのでしょうか?(JIJIはそんなことを言ってしまいそうな黒い羊さん=異分子。)
被災された方達の本音の気持ち、実態は、私には良くわからない。しかし、私には、若干の土地勘があるだけに、今回の地震の報道には、やはり???がついてしまうのだ。
今後早急に、仮設住宅をどうするのか、どこに建てるのか、玄海島に建てるのか、全世帯分建てるのか、空室になっている団地等を活用するのか等々の政策判断が必要になるだろう。しかし、それは、被災された方達が、将来に渡って、どこに生活の基盤や仕事の場を確保することが可能なのか、どこに持ちたいのか等々によって決まってくる問題でもあるだろう。
■本日の『speech』は↑の言論の自由(freedom of speech)ぐらいかな。