日曜日, 5月 11, 2025

一万人のベートーベンの名曲ではなく、リストら。

 某総合電器メーカー、1万人もリストラできるぐらいですから、今でも巨大企業様なんでしょう。

グループの全容はわかりようがございませんが、関連会社の下っ端や、日給月給員とか、フリーの外部要員として、たまたまお仕事をさせて頂いたという、限られた接点においては、たまたまかもですが、社員さんが適材適所の配置になってないというか、20年前ですら、定年間近の方が自らの待遇の愚痴をこぼしながら、企業顧客様の質問に的確に答えられないというか、唖然とするような誠意と責任感のなさは感じました。弱い立場上、気をきかせろなんて、言えませんが、気がきかないんだなあ。

正直、やりにくかったなあ。

派遣社員さんが担当の時は、説明用のマニュアルに工夫もあり、技術的な質問に関しては、即答できない場合は、担当者に確認して返答してくれるけど、社員さん同士は、連携も悪そうだった。

なんらかのプライドゆえに、質問できないのかも。人生の消化試合なのか?モラル的にどうなの?お客様が真っ当にお怒りだった。

ある拠点は海外に移ったんじゃないかと推察するが、自らの仕事が減るとか以前に、グローバルな責任ある業務遂行には、その方がいいんじゃないかな?と思ったぐらいだ。

海外の日系お客様のためにも。

リストラは、何人減らせばよい、という問題ではないでしょうね。

適材適所が大事。高単価のそこそこの案件には、そこそこの能力と謙虚さとモラルのある人材を。

定年前のミスマッチおじさんは、有給消化で。

創業者は神様扱いだけど、二股ソケットって、どこがすごいのか?と思ってました私は。きつねうどんを社長に指名した段階で間違っている。

さほどに社会インフラを担っているわけじゃないのに、収益追求であるべきなのに、不得意分野の企業を製品の性能が悪いのに買収してたり、秘境の地に工場建てたり、事業を無秩序に広げすぎだと感じていた。

民間企業は人民公社じゃないのだし。マイルドな北朝鮮みたいな崇拝に違和感を持っていました。話に聞いた中国の大院みたいなもんかも。世襲エリートというほどでもないのかも。

一万人のリストラが要るのなら、なんで万博にパビリオン出すの?社員にチケット買わせるの?

ノモって、お公家さんの〇〇所属でしたのにね。ネーミングにも、違和感あるある。ある程度で壊れて、次を買ってもらえるモノを他社のアイデアに後追いで乗っかって作って、売ってきたくせに、イマサラ抽象的に上から言うな。おそらく子供だまし、中身見てないけどさ。

ヒトはノモなの?モノなの?

自社製品のリサイクル、リユースとか、アフターサービス、モノの始末を、エコシステムを、アピって欲しいわ。モノを極めて頂きたい。

昔々、会社を自分の意思で辞めた時、仕事の内容をマニュアル化したものを人事に出して、入社したての方がチェックされるのだが、どうでもいいような、てにをは、を書き改めさせられた。

内心思った。

アンタ、私のやってる仕事は知らんやろ?知らないものを評価なんてできないのに、いちゃもんつけて、やりました感だすな!私の仕事が増えただけやで。アンタなんか、ホンマはおらへん方が労働生産性が上がるんだよ。慣例上やってるんでしょうが、婦人警官的、血が通ってなかった。

人事に転属になったら、とたんに高圧的になる人もいたなあ。過去の自らのパフォーマンスを棚に上げて。

組織にいると、人間のセコさ、思考停止な硬直性、真の改善が嫌われること、がよくわかる。

会社にしがみつく方達はどんな方達なのか?

人の人生が、生活が、かかってますもの。

心ある人であるならば、辛い決断を強いられる。本当本当に、ご苦労様です。

大きなグループさんですし、退社後、たまたま、仕事上の接点は3回、3つの異なる場所、案件であったが、どれもこれも、丸投げされて、きつかったし、ねぎらいの言葉もなかった。

社内の人事的な崇拝は、守りはるんやろけどなあ。内向きなルールはありそう。

いかなるレベルにおいても、ビジネス上のお付き合いって、相手先って、複数社ありますし、誰かが変なことをしてたら、比べられるし、損だと思います。多分、優秀な方も多いから、残念だなあと思います。

なんで今なの?トランプ関税が原因なの?かなりびっくり。そもそも、決断が遅いんだもの、後、半年後にはできなかったの?






月曜日, 4月 28, 2025

雨も日光も浴び放題の設計など

 関西万博の構造物をみていると、お金をかけずとも、常識で考えたらわかるやろ!できるやろ!という点が完全無視されていて、ぱっと見の見た目はまあまあ綺麗かもしれないが、来場者、末端のスタッフの命を守る気はないな!ということが明明白白です。

絶対に経年変化で早々に腐るでありましょう、大屋根リングの莫大な無駄使いは置いておいても。

①安物のプレハブの箱型パビリオン他

行列ができる場所の上に簡易的な屋根がないのはなぜなのかしらん?

せめて箱型のプレハブの周囲に、なんで雨宿りができるように、ヒサシ(テント状のシェードでもいいわ)をつけてないの?(晴れの日によくよく見たらついていたけれど、短い。雨に濡れた印象が強い。)行列して、入口まで到達しても雨に濡れるし、入り口から入る際に傘をたたんで、水分を取り除いたりするスペースすらないのは、なんでやねん!それに膨大なコストがかかるかなあ?雨の日があることは、当たり前、珍しいことではない。技術的に難しい話じゃない。

②あらゆるゲート、並んで待つ場所に雨よけがなさすぎ。

③デザイナーズトイレのコストが高いというよりも、使い勝手が悪い。デザインが悪い。要らない。そんな仕事を受けた時点でデザイナー失格では?デザイナーを廃業して頂きたい。お金も返金して欲しい。

カラフルなお手洗い。あっ、あれ2億円トイレやろ!って言いながら、人が通り過ぎる。

その近くにある、1200円ラーメンの張り紙の下の普通のお手洗いが、普通にストレスフリー。

お手洗いの機能、デザインのキモって、多くの用を足したい人を効率よく、不公平なく、さばけること。

one on oneじゃリスクありすぎる。

More than one for oneでないと。

1個の個室お手洗いに1人並ぶよりも、10個の個室お手洗いの手前で、一列に20人並ぶ方が安心。確実に用がたせる。

10個あれば、中で時間がかかる人が1人2人いても、残りの8個が機能して、順番が回ってくるけれど、1個1個に並ばされたら、その1個で、出てこれない人が発生したら、他にないから、失禁脱糞しちゃうよ、めっちゃ恐怖。

デザイナーズトイレは要らない。並んではいけない。1200円ラーメンの下のトイレに誘導しないと。

④桜島駅にある、おそらく待機用の場所(別の出口だった)の屋根がなぜか日光を透過する透明のポリカーボネート。

夏の暑さを考えれば、遮光できる軽量屋根であるべきでは?値段が変わらないと思うのだが。個人経営の工務店さんでもできそうなお仕事だが。

日光が必要な果樹の雨よけじゃないのだし。屋根の下に並ぶのは人間なんだよ。少しでも紫外線カット、涼しくなるように、遮光の屋根にするのが当たり前だろ?私が施主なら、そう言う。

周辺も会場内も、夏の暑さ対策、風雨対策、来場者の体調に配慮した設計に、なっていないことが悲しすぎる。

湯水のように適当にお金が漏れていて、頭を使ってない。

ずる賢いのか、誠意がないのか、純粋にアホなのか?

⑤雨が降っていて、まあまあ寒かったのに、屋外ミストが噴射されていた。止められないのかなあ?

私はクレーマーじゃないつもりだが、怖すぎる。





雨に濡れる消化試合みたいな日

 企業さんからチケットを買わされたり、もらったりする場合もある(だろう)し、関西に住んでるし、色々と心配だし、1回ぐらいは関西万博に行っておこうかな、という方々の現地での安全な過ごし方、数あるリスクやトラブルや傷病やイライラの回避に貢献しつつ、可能であれば、私も楽しい経験もしたいということで、通期パスを自腹で買った私は、雨が確実に降りそうな4月28日にも、リサーチ目的で関西万博に行ってみた。2回目。

えっ?やっぱりな!所詮そうでしょうね!下見してあげておいてよかったな!いきなり来たらどえらい目に合うよね!ということは、あるある。

アクセシビリティーセンターで、無料の車椅子が借りれる、って書いてあったけど、予約できないし、西口と東口を合わせて300台しかない。屋根のない屋外に並んで、朝イチで車椅子は全数なくなるらしい。途中で退場されて、返却される車椅子もあるけれど、消毒&メンテナンスをしてとなると、営業時間内にゲットすることはほぼ不可能と言っても過言ではない。

タクシーで来るにも、止められるところは1箇所。ユニバ目当てのホテルがバンバン建っているけれど、桜島駅でタクシー乗車はしてはいけないらしい。是が非でもバスで。九条とかコスモスクエアはタクシー乗車がOKらしい。関西万博だけのための街ではないのだから。

車椅子などの優先入場レーンはタクシー降り場の近くだけれど、バスで来たら、結構遠いなあ。

私は、一般ゲートから入場したわけだが、通期パスだと顔認証(登録)もさせられているのに、顔パスで入れない。

QRコードと顔認証の両方を求められて、本日はどちらも機能しなかった。で、こっちに来てくださいとのことで、パソコンで操作されて、いけましたよ!と言われた。(誰も申し訳ございません、とか言ってくれません。トラブルの理由の説明もない。私が悪いんかい?)

1回目はQRが反応しなくて、顔認証をさせられた。それはいけた。

2回目は両方アウト。何のための顔認証なのか?顔認証レーンが速いです、と、スマホにメッセージが出てたのだが。現地に顔認証レーンなんてないじゃん!

ボランティアさん、有償ボランティアさんを責めても、システム上の問題なのでしょうし、仕方がないけれど、毎回、入場時には、トラブルがあることを覚悟しておこう。次はどのような新種のトラブルが待っているのだろうか?楽しみ。

大規模ライブの電子チケットでトラブルは経験したことはないけれど。

午後から雨が本降りになった。

4月28日(月曜日)やたらに学童さんなどのグループが多かった。色とりどりのかっぱを着たり、傘をさして移動されていて、雨の中、かわいそうだった。この前に来た時よりも、先生に引率された学童さんが多かったと思う。

ゴールデンウィークの飛び石連休の間の平日だし、授業を入れても、学習した内容が中途半端な定着になるし、疲れが出ても、翌日はお休みの方が回復する時間が取れるし、先に伸ばして暑くなっても熱中症が心配だし、今でしょ!ということで4月28日が選ばれたのかなあ。

晴れた方が良かったけど、雨になるなら、翌日がお休みの日の方が良かったね、と言えるかも。

おそらく中学生のグループで、全員、傘をさして移動しているのに、約1名だけ、制服のままずぶ濡れで歩いている男子がいた。

明日は、絶対出かけるからな!と繰り返しつつ歩いていた。

まわりの誰も、◯◯くーん、濡れたら風邪引くよ、傘に入れてあげるよ!って言わないんだな、って、思った。普通に傘をさしていた男子女子は、みんな、黙々と、前の人から逸れないように歩いていた。

普通、雨具は持ってくるに決まっているし、ずぶ濡れの彼は、自業自得か、ただ単なる変わった奴かもしれないけれど。

なんか気になってしまった。



流浪の民

 数日前のことだが、歌の(誘われて参加してるノリの良いゴスペルなんですけど)レッスン会場に向かって歩いていたら、カジュアルっぽい服装だけど、なんとなく会社員さんかな?と思われる人々の群れと合流しちまった。

目的地の途中で、労働者の組合さんの会館があった。だからなのか。そこからはファンキーに歩く私。

みんなでメーデーの練習でもするのかなあ?なぜ会社員さんだと感じたのかなあ?ゆるい感じで、妙にまとまって、緊張感なさげな、従順で和やかな人間関係の匂いがしたからかも。

私の頭の中で、シューマンの流浪の民が鳴り続けた。みんなで流浪してしまうような気がした。

関西万博のオープニングの合唱は、ベートベンの第九ではなくて、シューマンの流浪の民だったら良かったのになあ。

聖歌何番だったっけ、覚えてないけれど、第九のメロディーで歌う、聖なる御神は天地(あめつち)創り、変わらぬ法(のり)もて、治めたまえり、ではない、大屋根リング、世界各国、内向きな、はったり交わし合う、やばい独裁だらけ。

現地で、リアルに歩いて、建築物として、見た目は、今この瞬間は素晴らしいと思うけれど、会期後のことや、収益や、耐久性を考えると、大丈夫なのか?と強く思ってしまう。

日曜日, 4月 20, 2025

全パス一択

 関西万博、作っちゃったものは仕方がない。

安全とリスク回避には、自腹で全パス、にすることにした。

一日券だと、朝から晩まで、元を取ろうと思い、うっかり疲れがち。

元が取れなければ、返礼品なしの、ふるさと納税ということで。

ヤバいと思ったら、サッサと帰る。

義理でチケット買わない、ただ券割引券もらわない、行事で行かない、動物的な勘がにぶるから団体で動かない。

万博てんでんこ。さほどに期待してないけど、お弁当持参で、興味のおもむくままに。

空飛ぶ車?飛行機の方が空飛ぶ車やん!

水陸両用車のデモの方がしやすい立地なのになあ。水陸両用車が見たい。

津波が来たら、助けて欲しいわ。



木曜日, 4月 17, 2025

HERE

 邦題:HERE 時を超えて、を観た。

超大作でも話題作でもないようだが、個人的には、大好きな映画になった。

トム・ハンクス主演映画の中で、一番好きだなあ。フォレスト・ガンプよりもずっと面白い。

HERE、ある場所、ある横長腰高のカーブを描くフレンチウインドウのあるリビング、の、定点撮影という設定。ジュラ紀か白亜紀か知らないけれど、恐竜が跋扈する時代から始まる。人の男女の家族の、出会い(愛)と別れ(他界)が地層のように重層的に描かれる。

色々な伏線があって、後々に伏線が回収される。

一定の画角がおしゃれ。

時代を前後する画面割りがおしゃれ。

既視感もあるフレンチウインドウ。

住む人によって、時代によって、人生のステージにおいて変わる、家具とか家具のレイアウトが面白い。

私の中にある、土地とか建物に対するロマンとか思いに近しい感じがする。

ストーリーテラーがいるわけじゃないけど、落語の高座のような世界観。

1人の人間の生存期間よりも長い長い土地(地面、土壌)と共にある歴史。そういうものが好きだから。舞台はアメリカ大陸某所だけど、例として、地形でいえば、香里園あたりとか、縄文あたりも想像させられる。地形は違うけど。

人類が出現して、最初にいた動物と最後に出てきた動物が同じで、面白かった。

私自身が、この世からいづれ消えてしまうことを、すんなり受け入れられる、殊更に希望を叫ばないところがいい感じ。

ずっとずっと居間のフレンチウインドウに向かう画角なのに、最後の最後になって、画角がターンするところとか、極めてオシャレで面白い映画だった。

Very tastefully directed!!!!

時代と家族の人種などの属性によって異なる処世術。生きるために必要なのは、気合いでも、パワーでもない。殺されないための野生の習得。

黒人のパパがその息子に向けた愛、警察に疑われないための所作指導が心に残る。

主演以外の家族の場面もかなり面白いので、何度も見返したい作品。

人の人生の、命の想定外は、あるあるなのです。

私は、世界最大のとか、業界初とか、〇〇初上陸とか、質と寿命が全くわかんない、特定の人間の、青息吐息なのに、腕力自慢100%宣伝には一切踊らない。

人間の力だけで、短期間でできたもん程にヤバいもんはないわ、人間の叡智自慢を嗅ぐと、怯んじゃう、そういうタイプの野生しかないわ〜。

ご安全にと祈る。

世の中に人間の叡智自慢の赤字を回避したい波動はヒシヒシと感じるから、この作品は大ヒットしないでしょうけどね。

中国の人も、この映画は好きだろうな、そんな気がする。人によるかなあ?





水曜日, 4月 16, 2025

Biological family ,her-EXs, and Spy family?

 うーん。広末涼子さんの件は、人間の心の不可思議さ、彼女が10代の頃の第一印象と現在の(おさがわせ度の)ギャップの激しさに、驚愕する。

世の中の、なんでやねん!もてんこ盛り。

私にはわからない、解明され得ないでありましょう、謎がある。

女優さんだからでもあるし、何が素の人間性で何が演技か、ご本人にも分からない状態なのかもしれないし、奥深い計算があったり、特殊能力をお持ちなのかもしれない。

見た目に笑っている、口角を上げる、というのは、顔筋の動きだから、そこに本当の善悪の判断能力があるか、気持ちがのっかっているのか、職業病的な反射なのか、苦痛からの一瞬の緩みなのか、その辺もわからない。

彼女には血のつながったご家族がいて、ビジネス上の、裏のビジネス上の家族もいるのかもしれない。お出迎えに来てくれた方達は何なんだろう?

とても深い深いところで、何かミッションのようなものがあった可能性はないのかな?わからないけど。

彼女はとてもいいお母さんだという人物評もあるようだけれど、本当にいいお母さんだったら、お子さんが乗りにくい、ポルシェには乗らんやろ!家族が皆んな乗れるアルファードとかならわかるけどなあ、と、一般人の私は思っていた。

で、びっくり。彼女をお迎えに来た車が黒のアルファードだった。その局面でアルファードが登場。Timesのカーシェアなの?身バレしないようになのかな?

アルファードは、女性ドライバーが乗っていることも多いけれど、車高が高いので、大きい割には、体格の小さい女性ドライバーでも見切りが良くて、前進するには運転しやすいらしい。

離合困難な道で、私がアルファードと出くわした時、アルファードがドシドシ突っ込んできたくせに、女性ドライバーのアルファードは絶対にバックしません。悪びれずに止まったままだった。

運転が上手いわけでは決してない、私がバックさせられる。(私がしてあげる。)

バックモニターがついていても、車体がでかくて、後ろの見切りが悪くて、どうハンドルを切っていいのか、途方に暮れるんでしょうね。

広末涼子さんが、なぜ、公共的な啓蒙映画とか、かなり倫理的なイベントに、キャスティングされたのかも、私には謎すぎる。あらゆるイベントは、よってたかって、胡散臭いフィクサーもいるのかもしれない。そもそもの美しい理念、ちゃんとした発起人にも、悪い奴が群がってくるのかもしれない。

広末涼子さんに励まされた人もいるという。

広末涼子さんが、早稲田大学の大学生になられた時、たまたま私は大学に編入学したわけだが、広末涼子さんは、早稲田大学生か、ただ単なる男性ファンの人達かわからないけれど、インタビューを受けている最中に、囲まれてしまい、どさくさに、後ろから、彼女の体を触った人もいたようで、彼女は、後日に、ざけんなよ!と思った、と、言っていたような記憶。何故、彼女はあのような暴徒の群れの中に、獲物みたいに放り込まれたんだろうか?ボディーガードもなく。

広末涼子さん、大変だなあ。比べるのも変だけれど、それに比べりゃあ、私は楽かもしれないな、まあ、最後まで、頑張ろうかな、と思った。

今になってみると、卒業することに(金銭的な)意味があったかどうかは、甚だ疑問なのだが。