火曜日, 9月 25, 2018

老人による正義の恐怖

4回泣けるというふれこみの、映画:コーヒーが冷めないうちに、を観て、1回も泣けはしなかった。タイムトリップ現象が、コーヒーのアロマとか美味しさとかカップの絵柄とか、ラテアートとか、そのようなコーヒーの本質と全く無関係に生じることに、まるで、苦行のようにコーヒーを飲み込まなくてはならないルールにげんなりしてしまったからかも。

カキ氷が溶けないうちに。
クッキーショットが漏れないうちに。
スープが冷めないうちに。
紅茶が冷めないうちに。
ソーダ水の泡が消えないうちに。

でも良いんじゃないかな。

映画の中の喫茶店はレトロなんだけれど、それにしても、すごく美味しそうと思うものが出てこなかった。

リアルにそういうコーヒーショップに行った時のことだ。

私の子供の頃からあるお店で、家の近くではなかったから、年に1,2回買い物のついでに行ったことがあったように思う。昔は、客がカップを選ぶことができたように思う。コーヒーショップのマスターの記憶は全くなかった。今は、ご高齢の方が独りで切り盛りされている。

ブレンドコーヒーを注文して、連れとトーストを半分個した。(可もなく不可もなく。)客は私と連れの二人だけ。

子供の頃に来たことありますよ、というお話をして、地域の昔の写真集の話になって、街の変遷を語っているところまでは普通だった。

マスターさんは、地域の助け合いが大事だと熱弁され、地元の神社の世話人とか、町内会とか色々で、休日もつぶれちゃうし、やめたいんだけれど、90歳を超えた常連客さんが日に2回も来店してくれるので、その人のためにやめられない(やめたくない)んだ、というようなことをおっしゃった。マスターは、その気さくで日経新聞をすみずみまで読まれる90歳代のお客様を尊敬されているそうだ。そこまでは、まあ普通だった。

で、唐突にマスターの愚痴というか世の中に対する洒落にならない怒りのような嘆き節が始まった。新潮の生産性議論に通じるような発言だ。

電車の中では、スマホばっかり観ている乗客ばかりだ、新聞を読まない、と怒り出した。(いいんじゃない?歩きスマホのような危険はないし、携帯で大声で通話してるわけじゃないし。スマホで読めるのはネットニュースだけじゃないけどね。)

近所に、40歳をすぎても結婚もせず、働かず、勉強もせず、プラプラして親の持っているアパートの家賃の計算しかしないやつがゴロゴロいる、親が子供をダメにしている、子供を生まないといけない、そのままでは国が滅びると。

(う~ん、すみませんね。子供いないんですよね、私たち、と言いかけて、やめる。イマドキ、アパート経営も苦労多いらしいよ。ご高齢者が住まわれている場合など、修理費ばかりがかかって赤字だったり、出て行ってももらえないし。)

親のすねをかじるのは別として、結婚するしない、子供を生む生まない、は個人の自由ですけどね。

母親が働いてばかりで子供の面倒を見ない、母親のくせに子供が始めて立った瞬間、歩いた瞬間を見ていない。保育所の保母さんのお知らせで、子供の成長を貴重な瞬間を知るなんて、とんでもない母親だ。(そう思いませんか?と言われても、子供を24時間監視するわけにもいかないし、保育所がそこまできっちりご連絡してくださるのであれば、子供を社会にお育て頂く瞬間があってもいいんじゃないの?子育てにお金もいるし、お母さんが働いていいんじゃないの?働かざるを得ないケースもあるでしょ?お父さんが働くのとどう違うのさ?)

夜、コンビニの前で、地べたに座って、コンビニ弁当を食べている子供がいる。家庭で会話をしながら食事をしない、子供にお金だけをわたして、子供を放置する(母)親が悪い。

私の自慢は、二人の娘を立派に育て、孫もちゃんといることだ。
(それはそれは、よかったですね。)

食は良い材料であることが一番大事だ。
(普通のトーストパンにマーガリン塗って焼いてるだけやん。そこまで求めてないけど、普通のものしか出してないのに、良い食材を語られましても。)

結論;
次は、もう行かないな。そもそも、お客様を、一方的に、楽しくない議論の相手にしてはいけない。
イオン等のフードコートに人が集まってしまう理由がわかる気がする。
しかし、感情的な自己自慢と一方的な嘆き節を発する、わけのわからん保守色の強そうな老人にはあえて反論しないし、そのような方達が集まる場には行かない。
日本国憲法第20条にもとづき、神社の中の人とかも近寄らないよ。
子供を助けたければ、単独行動でできる範囲で、さりげなく助けるべし。

孤独であることは、かなり幸いです。